国難と人物の巡り合わせを考える

2011年06月23日

50才を過ぎると生まれて50年の時間が経験として分るので、歴史の時間の流れを実感することが出来ます。自分の生まれた年の100年前はペリーが浦賀に来た次の年です。
寺田屋事件も江戸から明治に変わったのもずっと後のこと。長いようでいてなんと短いのか。
きんさん、ぎんさんも軽く百歳を生きるのだから150年はこれくらいなのかと驚きです。
おそらく150年前の人がやってきて今のバラエティに出る政治家を見てもなにも思わないでしょう。
30分もすれば携帯でメールを片手で打っているでしょう。それくらいの近さです。
大震災で国民や国土の9割を喪失した訳ではないのだから時間が過ぎれば当然復興します。
でも劣悪な避難所で死にたくないのに亡くなった人々にとってはそれは嬉しいことではないはずだしいまも何万人もの人々が暑い中不便な生活を強いられています。
巨悪を眠らせないと大見得を切っている検察は福島の原発事故で放射能を撒き散らしながら知っていて被爆させ、なんでもないと言っていた東京電力幹部や政治家より、小沢一郎の帳簿の記載の間違いのほうが大問題と思っているのでしょう。
逮捕されるべき人はどちらでしょうか。職務怠慢ですか。何処を向いて仕事をしてるのでしょう。
反原発は当然として金儲けしか頭に無い孫が新エネルギーと言っても国の力でまた独占で結局これからもまた高い電気料を払い続けることになるのは見えています。
水力発電の電気を使いたいからと山水電力株式会社(架空)と契約するとか出来ないのですかね。
世論を作るべきメディアは70年前とまったく同じ報道姿勢で見る影もありません。
根本的に公平な政策を打ち出せる政治家がいないのか。
名参謀の竹中半兵衛や近いところで切れ者、カミソリと言われた後藤田正晴のような人物が側近としていないからなのか。
4代将軍家綱補佐役であった保科正之、それまで慣例であった先君への殉死の禁止や玉川上水の開削、今でいう年金制度を作ったりのこの人は江戸城の天守閣も焼け落ちた明暦の大火の際、浅草の米倉を開放し(かってにもっていっていいですよということ)、すぐに炊き出しを始
めています。なんという迅速さ。1657年ですから今から350年程前です。
人間は劣化していくものでしょうか。
仕えた家綱の人柄のよさというのもあったと云われますが一人の人間が歴史を動かすというのが本当にあるのだと、やはり人かと思いに至った訳です。
   米田正之

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