二十四の瞳は永遠に
2013年12月12日
駐日大使として来られたケネディさんを見て思い出す。小学2年、秋も深まり寒くなってきた教室の休み時間、同級生の一言がいまだに忘れられない。「僕は飛行機乗りになるんだ」操縦桿を握るしぐさをしながら誇らしくそして真剣な姿が五十年以上たった今でも鮮やかに思い出せる。あの核戦争寸前までいったキューバ危機だ。俄かに騒がしくなった世界情勢に日本の片隅の田舎の小学生も巻き込まれていた。8才だから実際戦闘機に乗れるのはあと十年は掛かるのだけど、もう戦争がすぐに始まると思われる空気の中では頷かざるを得ない。それほどの危機であった。子供は常に世の中の動き、大人の行動を見ているものだ。日本映画の名作、二十四の瞳の中で満州事変が始まった頃の設定と思うが男の子たちが「立派な軍人になるんだ」と言うのを聞いた大石先生は「軍人より漁師や米屋の方が好きね」と答え「弱虫先生」と言われるシーンがある。この映画が公開された年に自分たちは生まれたのだが8年たって日本の各地で同じような光景が見られただろう。
ジョン・F・ケネディが45才、そんなに若かったのか。老練な政治家フルシチョフ68才、若き革命家カストロは37才、彼らにほんの少しの決断の遅れ、判断のずれがあったなら何千万という人たちの生命が奪われていただろう。
日本でもその2年前、安保騒動の中、岸首相がデモ隊への自衛隊出動を要請したのに対し、赤城防衛庁長官は「国民を撃つことは出来ない」とした。あのころまでの政治家は命を懸けて行動していたということか。
今、官僚の思うがままに動く政治を見るにつけ、政治家個人の力がいかに大きく大切なのか思い知る。民度に合った政治家しか出ないと言われようとも、期待する、ひっくり返す力量があり、主権が国民にあることを理解し、やさしい心を持つ政治家が出現することを。
米田正之