新聞はオリンピックを中止と書けるか

2020年05月03日

自宅で病院に行くことも出来ず新型コロナで亡くなる人がいる。医療崩壊を避けるためにと死んでいく。素人が医療行為をすると罰せられ医者は厚く守られた職業で受け入れを拒否されれば何処に助けを求めればいいのか。病気の人を助ける為にその職業に就いたのなら今その課せられた使命を成し遂げてもらいたい。早い段階で国は検査を意図的に少なくしたいのが分かってウィルスは消えないかもしれないのだから全国の病院ですぐに検査を受けられる防護を含めた形をこれからもワクチンが出来てからも作らなければいけない。

今すぐ必要なものから長期的なものまで莫大な対策費を必要としている上、オリンピックをするために感染者数を少なく見せなくてはいけなくて検査を増やすことが出来ない。新聞は中止と書くべきです。戦前、ある新聞社が勇ましい記事を書いて売り上げを伸ばしたのを見た他社も同じような記事を書き軍に抱き込まれていく。戦後は政権の中枢にいる政治家と親しくなり他社に先んじて特ダネを取った記者が出世していく。その辺の商事会社と全く同じで他の業種よりもダントツに高い給料の社員を何千人と抱えた会社が政府と電通の機嫌を損なわないようにしなければいけないのだろうがそれならジャーナリズムの看板を下ろすべきだろう。ハンセン病には最初一緒になって隔離すべきと書きすぐ直る薬が出ても言わずこれは著しい人権侵害だと周りが騒ぎ出したらこんなに酷かったと書き最後は偏見を持ったその当時の人々が悪かったとまとめている。こんなことがありましたと書くのも新聞の一面だがそれにもまして主張し意見するほうが大事ではないか。今の政権が大きなこと、きれいなことを言って何時もその場をごまかしているのも結局致命的な権力批判は出来ないだろうとみているからだ。最近ページ数が減ってペラペラになった新聞につくづく思う。少し前にねじれ国会という言葉があった。ねじれていていいのにさもそれが悪いかのような報道をする。新聞社と一般市民との間に感覚のずれがあるのではないか。日本人がノーベル賞を取ろうものなら第三次世界大戦が勃発したかのような気恥ずかしくなるような大きな字の見出しが出る。湯川秀樹さんの時代と違う。少なくとも私の周りに話題にする人はいないし電車の中で聞くこともなくスーパーでおばちゃん連中がそんな話をしていることなど何十年と記憶にない。三面に10行ぐらいでどうでしょうか。

今回のコロナにより検査体制の不備、遅い対策、文化芸術にお金を出さないところまで日本という国の没落がまざまざと眼前に現れた。マスクをする習慣のあった日本なら本来こういう時世界中にマスクを輸出していた。これを教訓に食料の自給なども考えないといけない。
昔あった小学校の教科書が買えないでどこからか貰ってきたり、お昼の時間お腹を空かして運動場で遊んだりという姿をまた見ることになるのだろうか。
 米田正之

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