社会の性格と権威主義
2018年06月03日
少年の頃、「女、子供」という言葉をよく聞いた。幾星霜を経て禿散らかり汚い爺となった今では聞くこともなくなったが社会通念として残っている。そこには男より下に見る考えがあり劣るもの或いはいたわり助けるべきものとの意味があるのか。女性は元々それほど弱かったわけではなく三行半は女性からもあった。女流作家などは夫を捨てて好きな編集者のもとに走ったりとそういうことは日常茶飯事であったろう。文字通りの腕力でもカツオの一本釣りをやっていそうな女性もいる。太陽と言われる前からも強かったが制度として権利が抑えられていたのでありそれは明治の初めに作られ戦後まで続いた。権利を与えられても習慣として残り続ける。セクハラではなく古くから行われてきた人権を無視した犯罪のような習慣が問題なのだ。社会を映す学校ではしきたりでもあるかのように学級委員長は男子と決まっていた。
伊藤博文の女好きは有名で20人以上のお妾さんは特定の女性なのでまだしも不特定多数の女性と遊び明治天皇から叱られるほどであっても後で紙幣の肖像になるのを見ると承認されているということか。米山前新潟県知事が何ともかわいそうと言うほか無い。
西郷隆盛派が優勢でほぼ決まりかけていたところで一日の猶予をあたえた為、伊藤の巻き返しに会い大久保派が勝ち西郷は下野、西南の役となるわけで明治の初め政治家同士の好き嫌いの中、権謀術策に長けた者が残りその周りには自分の立場が大事な追随者しかいなくなり今の傲慢な政治家や官僚の下地を作っていったように思えてならない。国土を荒廃させそれが許される社会は150年前から形作られていた。司馬遼太郎の生活を支える為に小説とはいえ真実を曲げることはないだろう。秋山兄弟もたいしたことはなかったと聞く。
自分たちが世界の中心であるという中華思想のためその時西洋列国に支配され経済成長出来なかった中国と違い日本はもみ手で接待しそれまで多くのことを教わった中国やアジアの国々を蔑視し成り上がった。そのアジアではベトナム戦争の初期ベトコンは最後の白兵戦をフランス軍と戦いそのあと現在の戦い方の高いところから爆弾を落とすアメリカとの戦いに勝っている。負けた日本と勝ったベトナム。真実を知らなければいけない言わなければいけない。違う話のようだが今を象徴するAIは人をますます忙しくさせ衰えさせると分かっていて享受するということか。
権威者には同調しそうしない人を非難し弱い立場の人はいじめる権威主義が日本の社会の性格である。
最後の海軍大将、井上成美は戦争責任を取り隠棲し真に立派な軍人であったが、恐怖と死と悲しみの逃避行で終わった満州国の建設に関わり戦犯でもあった岸信介や旧軍隊の将官、佐官の中何人かは何の責任も取らず政治の世界にいて恥ずかしくなかったのか。悲惨な満州でなく台湾からの引き揚げの母でも父と弟を戦後貧困の中亡くしている。台湾では普通の生活をしていたのに。いったいどれほどの人たちが運命を変えさせられたのか。皆苦しかったとごまかしていていいのか。日本独特の「恥」の文化を考えれば恥ずかしくないのだろうか。日本人とは思えないところだが逆に言えば恥さえとぼけていれば罪は掛けられないのだからこれ程都合のいい文化もないだろう。
忠孝思想に反した明智光秀が今更人望もあって優秀な武将であったと言われても草葉の陰か空の上からか「遅いよ」と聞こえてこよう。
米田正之