西城秀樹とその時代

2018年09月29日

野口五郎が「青いリンゴ」を歌っているのをテレビで初めて見てこの人は売れるなと直感した。その次の年であったか静まり返った観客を前にプレスリーのような衣装を振り乱して歌っている歌手がいた。その前に出ていた歌手がキャーキャー言われていたあとその静寂がなんとも印象的であった。この歌手は売れないだろうなという予想は外れ程なくスターとなっていく。西城秀樹は短い期間ではあるが下積みがあった。高身長にはっきりとしたルックスと激しい動き、歌声はスターになる要素は十分なのだがそれを国民的にしたのは言われるようにドラマ寺内貫太郎一家とハウスバーモントカレーのコマーシャルであったのだろう。テレビをつければいつも流れていたあのフレーズ。ヒデキに惹き付けられてお母さんが買えばその味は子供にも引き継がれヒデキ本人もハウスにとってもこの上ない選択となった。こんなに見事に当たったのは珍しいのではないか。

その時代何も西城秀樹だけが目立っていたわけではなく沢田研二ジュリーは既にトップスターであったし違うジャンルでは岡林信康が若者の支持を得ていてそのあと井上陽水と続いていく。吉田拓郎などはテレビに出ることを非難されお客さんから帰れコールを受けると言っても若い人には意味が解らないだろうがそういう時代であった。70年安保から数年後です。
真理ちゃん自転車に象徴される社会現象にまでなった天地真理、秋田美人の桜田淳子がいて、かわいい振り付けの麻丘めぐみは曲の一番と二番の間奏時に観客に向かいお辞儀をしていた。瀬戸の花嫁の中で「男だったら 泣いたりせずに 父さん 母さん だいじにしてね」と歌う。涙なしには聞けない。なのに小柳ルミ子の清純派は白昼夢だったのか。男はいつでもだまされる。本田路津子の透き通った歌声は時代を象徴していたしあの時代だからこそ映えていた。

現在の男も女も集団で歌っているのは自分は入れないが世間から受け入れられているのだから今の時代に合っているということだろう。もう阿久悠や山上路夫、曲なら筒美京平や三木たかしらを必要としない時代でそれを良しとしているのだから何も言うことはない。
その頃一世を風靡したCMのエメロン振り向かないでシリーズで若い女性たちは決まって恥ずかしがって逃げていた。全てが違ってしまった今思うことはもうあの時代が戻ってくることはないということ。違う国にいるような錯覚を覚える。心躍る出来事はきれいな想い出になる。多くあった歌番組も楽しませてくれたドラマも遠い過去である。精神や文化が歌と深くつながっていた時代を懐かしく思う。
 米田正之

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