象徴としての天皇と愛子さま
2016年09月04日
美智子妃が初めて民間から皇室に入られて旧皇族、旧華族や女官からいじめをうけたという。皇后が多くの人たちの面前で無視をする映像も残っている。伝統とは古い因習ということか。
千何百年と続く天皇に平民のその下あたりの私がとやかく言うのは滑稽の限りだが、今上天皇は生前退位され皇太子が天皇となった後は愛子さまが天皇になられるのが最も自然ではないか。将来天皇になられるまわりからの期待と自覚があった皇太子と次男坊では意識の違いは大きく、子は親で決まるということもあるだろう。男子が生まれたとせっかく愛子さまに決まりかけていたものをひっくり返されたみたいで違和感もある。天皇、皇太子を身近にみられ優秀な愛子さまであれば国民の幸せを祈る意味もお分かりでしょう。
女性の天皇で良いではないか。その後は最初に生まれた子が継いで行けば良いのだろう。
男系、女系も関係なく新しい皇室を繋いでいってほしい。
相模原の障害者施設での犯罪について諸外国から哀悼のメッセージが寄せられているのに人権後進国の自国では出すことは出来ない。両陛下は昨年、近所の知的障害者の作業所に来られた。常に国民に寄り添うお姿に精神的な支柱を感じるのだ。先の戦争の責任がまったくないとはいえない現人神から人間宣言された昭和天皇と違い今上天皇は初めから人々の傍らに立たれてこられた。その大きな存在に時の政権は甘え利用してきたのだろう。国会の召集にあいさつをする必要があるのか。どうしてこう激務になったのか。京都に戻られた方が良いのかもしれない。
8月8日のお言葉を92歳の母は耳が遠いのでラジオにかじりついて聞いて「天皇陛下やさしいね」と涙している。国民と共にある象徴天皇をそこに見た。
米田正之