遠藤泰子さん的生き方

2019年07月14日

60代半ばの私が10代中頃TBSラジオでお昼前に永六輔さんの短い番組があった。傍らには遠藤泰子さんがいていつもコロコロ笑っていた。永さんがよくしゃべるせいなのか始まりのあいさつと終わりのスポンサー名を言う他は7円の唄のはがきを読む以外笑っているだけの印象であった。それで給料が貰えるならこんないい仕事はないと思ったものだ。長く続いたその番組で後年永さんは病気になり声が出なくなってそれを上手くサポートし何事もないように持っていく頃には親しみのあるゆっくりとした話し方となっていた。

うまく話すことが出来ないのはご本人も悔しかったでしょう。別の番組で3月10日の前で疎開されていた話になり他の同級生の多くが10日の前にその疎開先から東京に戻りたくさん亡くなったと言って突然泣き出した。外山恵理さんが「3月10日の前にね」、「東京にみんな戻っていったのね」と一言一言繰り返していた。永さんの思いと外山さんのやさしさが胸に迫り心を揺り動かされた。見事な気遣いを見せるお二人はご本人の素質もあるのでしょうが永さんの近くにいて合わすことにより自分も高めることが出来たと言えるのでしょうか。永さんは外山さんが最初の頃抗議を受けていた時かばっていたそうだし遠藤泰子さんには同じ話を4回も5回もしても初めて聞いたように聞いてくれたと褒めていた。

遠藤泰子さんの明るく高い声が軽快なリズムのメロディーにのせて桃屋の製品を紹介しお昼が近いことを知らせている。森田美由紀さんや前場美保子さんのように落ち着きのある明瞭なしっかりとした声質とテンポでは出せない魅力があった。紛れもない天才の永六輔さんのそばで考えることもあったでしょう。好感をあたえ親しみを誘う話し方を見出され徹する姿勢に敬服の至りです。
 米田正之

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