闘いの炎をもやせ
2017年12月23日
よく知られることで700万年前ヒトと分かれた霊長類は200万年前チンパンジーとボノボ(ピグミーチンパンジー)に分岐する。女性優位で平和に暮らすボノボに対し男尊女卑のチンパンジーは別の群れに出会うとケンカを始め殺し合いまでする。現在のヒトはスマホを持ったチンパンジーか。
籠池夫婦の不当に長い拘留は口封じと見せしめでしかない。これに沈黙するマスメディアが不思議でならない。権力に逆らうことは一言で言えば大変なことでもある。主君の反感をかえばすぐ首が飛び、島流しにもあう。現代に近い時でも深川警察署で小林多喜二を直接撲殺した特高の警部やその部長はその後も戦後も出世している。特高のスパイもさすがに名前を変えながらも成功している。共産党が戦後政権をとって権力側に立てば皆処刑されたであろうが。命を懸けた闘いである。
マルティン・ルターから始まったプロテスタンティズムが近代資本主義の起源となったが現代資本主義はその姿を変えてしまっている。特に道徳はない、宗教は慣習でしかない日本においては競争の感情に支配された巨大な秩序の世界でしかない。その精神、人間行動まで外からの動機による利潤追求それ自体が目的化している。
企業活動から社会保障、司法、日々の生活の隅々にいたるまでそれは及んでいる。
メーカーではデーターを変え経費を抑え売り上げを伸ばせば褒められる、政策で増える貧困世帯の支出を基に生活保護費を下げそれをまた基準としている様々な制度の所得制限を下げその分を法人税下げの穴埋めにする。政権に楯突く沖縄には復興予算を下げ協力すれば犯罪を犯していても国税庁長官にさせてもらえる。司法からは何も言われない。みんな現代資本主義の精神で説明がつく。富む者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる社会、先進国の中でも相対的貧困率が高くなっている。権利意識が薄く声を上げないのを知る政府や行政。暴動一つ起きない従順なる国。
東大全共闘の山本義隆氏も最近発言されるようになった。閉塞感を打破するのはいつでも若者でしかない。変える事が出来なかった、むしろ悪くなった今を前を向いて考えられる人はその姿はたとえ老いも若者だ。
「友よ 夜明け前の闇のなかで 友よ 闘いの炎をもやせ」
岡林信康が封印している「友よ」を新宿西口広場で3000人が大合唱し、ボブディランに並んだ歌をその透き通る歌声でもう一度歌ってほしい。時代が待っている。
米田正之