都知事選を見て 批判と人権を考える

2024年07月17日

野党は頼りないとよく聞く。新聞も書いている。何か「B型の血液型の人は変わっているのでしょ」とニュアンスが似ている。話としては面白いが何の根拠もなくみんな言っているからそうなのだろうと自分で考えることもなく同調していく。
権力側は自分たちの既得権益や利権を守ることを優先する。おかしいと感じても身内を批判することはまずない。マイナンバーはいいとしてもせっかく使われて浸透している紙の保険証を廃止してマイナ保険証にするという究極の迷惑、無駄遣いを批判することはやらなければならない。

今は政権に反対を言うと非難されるが昔国会の爆弾男という議員がいて誉め言葉であった。目立つこと言って注目を浴び人気を保ちたいタレントを真似ることはない。立憲はあまり広くいい顔をしなくてもいいのではないのか。少子化対策といっても世界共通認識の好きな人がいれば一緒になるというのが通用しない国なのだから取り敢えず所得を上げる政策です。貧乏に耐えられなく友達にも自慢をしなければいけないのだからいかに収入を上げるかなのに大学生にまで手当をする必要があるのか。必要なところには個別対応でいいのでは。貧しかった私の子供時代に児童手当があれば親はどれだけ助かったか。子ども食堂には親子そろってあちこちに出かけていやな顔をされていただろう。収入が全てであり賃金を上げる政策がすでに高い企業、公務員以外に必要とされる。少子化は必然であり人口の少ない中でどうするのか或いは海外から働きに来る人を増やし人口を維持するのか。立憲はどう考えているのか聞いてみたい。

それほど昔ではない平成の初め頃であったかラジオで聞いた話だがある知的障害者施設の女性の生理の処置が面倒だという理由で子宮を摘出したという。その番組はそれを糾弾するものではなく何かの話の中で出たものであった。おそらくそのころ多くあったのだろう。人権も何もない。ひどいことをするなと思った。当然そういうことを知っていたジャーナリストやそこの施設や厚生省の職員はどうして声を上げなかったのか。言えなかったのか。批判してやっと動き出すハンセン病や入管を見るまでもなく批判することがいかに大事なことか。

今回の選挙活動は表現の自由があるのだから問題はない。政見放送の規則を変えた東郷健さんやご自分の主義主張を熱っぽく語っていた赤尾敏先生、強烈なインパクトを与え新しい方向を示した外山恒一氏など色々面白いと言っては何だがそれでいいのであり、若者受けを狙いどういう政策をするのか言わないで票を取りに行こうとすることの方が問題は大きいのではないだろうか。自民党と本来は相容れない公明党が連立を組んでいるのに立憲と共産が選挙協力をするのはいけないとなる不思議。

蓮舫さんは早く国会に戻って鋭く批判を続けて欲しい。それは困るからと色々言ってくるが普通のことでまったく気にすることはない。平塚らいてうも奥むめお、伊藤野枝もみんなから歓迎されたわけではない。現状を変え先頭に立つ女性は何時も時代の象徴である。虐げられた人々のために戦ってください。満面の笑顔は改革を実現させた後でいいのだから。
 米田正之

Follow me!

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です