ある昭和の一日

2024年09月23日

最近は3分どころか3秒前のことさえ忘れて悲惨なことになっているが記憶というのは面白いもので何十年前のことをはっきりと音声付きで覚えている。それは放浪の終わりの日であったからなのか。
名古屋駅を降り新聞で求人を見て大曽根の段ボール会社に向かう。対応してくれた物腰の柔らかい男性は話しをする中、傍らにあったスポーツ紙を見やり「日本ハムが今度買収で球団を作るらしいね。いい宣伝になるねー。」と言う。女性事務員がお茶をどうぞと和菓子を添えて出してくれる。ここに来るまで大阪にいたのだが名古屋人の評判は男は遊び人だが女は親切で優しい、嫁をもらうなら名古屋の女性だというのを聞いていたのでこれかとあまりにも単純に思ってしまった。

作業は深夜もあるというのでへなちょこの自分には無理なので残念ながら辞退しますとなった。出口まで見送ってもらった時40代と思われる男性と奥さんに男の子が2人と小さな女の子の子供3人がいて四国に帰るのだという。男は怪我をしたのか頭に真新しい包帯を巻いている。その時子供のうち長男であろうか10才程の子を見てハッとした。その眼差しは猜疑と怒りに満ちていた。男の会社の人との淡々とした話しぶりや少年の眼は決して円満退職でない何かがあったことを物語っている。
歩いて向かった名古屋駅まではかなりの距離があり日も暮れてすっかり暗くなってしまった。駅前のタクシーの開けられた窓から「詩人のサトウハチローさんが今日亡くなりました」と聞こえてきた。

大阪駅までたどり着いた時には既に金沢行きの列車もなくなっていたので一晩ここで過ごし早朝に出発することに。深夜は駅構内にはいられないので少し寒くなった外でここを住みかとする男たちと一緒に夜を過ごすことにする。隣の男が熟睡しているなか少しは眠れるかと思ったが一睡も出来ない。やはり修業が足りない。

やっと駅も開き人が構内に流れ始める。隣にいた男もどこで手に入れたのか新聞を読んでいる。しばらくして人もかなり多くなり始めたとき二十代半ばか若いサラリーマン風の男が横を通り過ぎたと思ったら何かを落とした。新聞を読むのを一旦やめて男は何かをゆっくりと数えている。よく見るとそれは千円札であった。3枚あるようだ。人混みの中足早に去っていく若い男に一筋の光が差しているのが確かに見えた。
  米田正之

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