いじめと人権と

2012年07月13日

みんなそれぞれ違っていていいのに閉鎖された学級という空間では狭い中での人間関係が全てになって、空気を読んで卑屈になり同調してみんななかよく。この明治以来続けられてきた教育制度のもと誰も責任を取らないで戦争に突き進んだり現在の税制、社会保障、原子力にいたるまでこの教育の問題が日本という国のいますぐにでも改革しなければ問題である。先進国やそうでない国でもかならず暴動になっているであろう問題でも従順におとなしく政府にしたがってしまうのは教育にあります。まず最初の改革として学級を廃止し教科をそれぞれ生徒が選択して教室を移動する。流動性をもたせ留まらせない。ハトも狭い空間に押し込められれば殺し合いがはじまる。まずそこから始めて教育改革の一歩としなければいけない。
そういえばかつて子供の頃、頭と腹はなぐってはいけないというルールがあり、泣いた子にはもうそれ以上はしない、それでも手をあげる者は卑怯と言われた。この卑怯というのが子供たちの中では一番のさげすみの言葉であってどこからか騒ぎをかぎつけてやってきたガキ大将がその卑怯な子をこんどは泣かしていた。今、集団でいじめるのはやはり大人世界の反映か。大人の世界では卑怯であっても金を持っているものが尊敬されるようになった。日本は変わってしまった。いや昔からそうだったのかもしれないが権力、強いものに対する反発はたしかにあった。学級の中では足が悪い子も発達の遅い子もいて弱い立場の人ほどやさしくしなければいけないと学んだ。子供をあまやかして一人の人間として見ないのは日本の伝統のようなもので人権がそこでは弱い。子供が独自の世界を作っているわけでなく大人をまねている以上いじめや暴力はなくならない。これからは大人よりただ体が小さいだけの人として見ていくべきでしょう。暴行を受けたらすぐに警察に連絡してその後は大人と同じ対応がなされるべきです。
人権の思想が弱いのは犯罪を犯した人に対してもそうです。日本の刑務所を視察する外国の調査団はその前近代的な受刑者の扱いに一応に驚くという。外に出られないことで罰を受けているのだからそれ以外に行動の制約や規則をつけるのに何の意義があるのか。こらしめですか。改革が急務と思われます。
  米田正之

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