略奪のないことが息苦しさを物語っているのではないか

2011年03月17日

地震後略奪が起こらないことに世界中から評価と報道されているが、略奪が起きないことが息苦しさを物語っているのではないか。かつて農民が日本のほとんどを占めていた頃、村八分にならない生き方をもとめられた。権力者には逆らはない。自分たちよりも下の部落民を蔑んで怒りを向けない。そのなごりではないですか。
こんな状況下、買いだめ、買占めをしている日本人を世界に向け発信してください。
食べ物も毛布も来ない避難所の人たちが暴動を起こしてようやく注目されるのでしょうか。有史以来現在も争いは常に起こりそれはそれまでのものを変えることにもなり、略奪を薦めるわけではないが、世界の常識と違うことは奇異なことに思える。
メディアが東京電力に強くあたらないことも同じことで、国民が知らなければいけないことをことさら小さく報道しているメディアは、お金と出世だけが気になるジャーナリストの集まりですか。原子炉の近くで写真をとってください。
   米田正之

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