埼玉の公園に雨が降る
2014年04月03日
今につながる本業の仕事に就く前、二十代のちょうど真ん中の八ヶ月間、建築現場で働いた。基礎工事の現場代人として東京とその近郊の工事現場を長い期間で二ヶ月近く短いと二週間で移動していく。現場代人という仕事の意味をよく理解しないまま言われるだけのことしか出来なくて最後はお払い箱であったが苦労人の社長にはよく見ていただいて我慢して使ってもらったと今では感謝している。その後の仕事が成長産業分野ということもあり何もしなくても売れていくのをみてなんと楽なのかと思ったものだ。過酷であった仕事ではいろいろな経験をさせていただきお金をもらいながら勉強をさせてもらった。ある現場で出会った基礎工事専門のプロ集団とも言うべき三人組は関東の各現場を渡り歩いている。三人とも中卒だという。その仕事の正確さ、手際のよさ、完璧な仕上げそして豊かな人間性はその後の今の大卒中心の連中の仕事を33年間に渡り見てきたがそれを超えるものはいなかった。必要としないところにはなにも生まれない。仕事とは何か、人生とはと考えてしまう。
凝縮された八ヶ月間のさまざまな出来事の中で今でも思い出すといつもは汚れている心も綺麗になることがあった。作業場所は当時国鉄の北浦和駅から埼玉大学行きのバスに乗り地名は思い出せないが途中で降りそこから少し歩いたマンションの建築現場だがその近くの民家が立ち並ぶ横に三十メートル四方ほどの公園があった。昼になるとベンチに座り弁当を食べるのを日課としていた。その日もどんよりとした曇り空でいまにも雨が降りそうであったが買っておいた弁当を持ち公園に向かった。雨の気配で誰もいない。飲み物を買い忘れていたのでベンチに弁当を置きバス停近くの自販機に向かう。まだ着かないところでポツリポツリと雨が降り出してきた。急いで買って足早に公園に戻る。自分が濡れるより弁当が気掛かりなのだ。ようやくベンチ前まできて足が止まった。弁当が雨に濡れないよう透明のビニールで包まれている。私は弁当を手に取りどちらの家の人にお礼を言うべきか分からないので目の前の家に向かい頭を下げそこを後にした。降り出した夏の雨が公園の木立の青葉を濡らしていた。
それから私はその場所に行くことはなかった。見られているのが恥ずかしいのではない。現場で受け持つ工事が終盤となり残り僅かとなったからでもない。ありがたくてもうそこには行けなかった。
米田正之
